DELUXE WARE (デラックスウエア)の半袖Tシャツをアップしました。
ミディアムウェイトで着やすく人気のS60シリーズの生地を無蛍光ブリーチで純白にし、そこに施された多色の染み込みプリントが映えるシリーズ。
・S69B "REBEL '69" ホワイト ¥6,510
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2fe1TQoKrv7gD8vancyrzHjL7v5fBpLXA9f48X37PX2P3PfmqAxjCzAMVqux3KW4KPDSkon8Kh7UcEVb6C0pEqTlOYEkyZm17hvhcSo4ehmC2nxZ2d13FkWE84d7Vxc8iWqtaHM5GBow/s320/130316dl1.jpg)
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「REBEL」とは反逆者という意である。
アメリカのメインスポーツの一つであるフットボールと「REBEL」の関連性は、実は1960年代という時代背景に言及していかねばならないだろう。
1960年代はアメリカ文化において一大転換期である。これまでの文化と一変したカウンターカルチャーは、思想に留まらずライフスタイルやファッション、スタイルまで波及し広く影響を及ぼした一種独特な世界観を持つ文化である。
また、Teeシャツの歴史から見ても1960年代というのはエポックメーキングな時代であり、多色化にともない様々なデザインと配色が可能になったことで、メッセージを盛り込むコミュニケーションツールとして、又自らの主義主張を表現するツールとしての存在意義が生まれた時代なのだ。
このモデルは、1960年代後半のフットボール会場を意識して制作された。当時のアメリカを思い起こす何処か懐かしいポップな色合いと裏腹に、アメリカンブラックジョークを交えたギャップ(落差)が非常に面白いデザインである。
・S71C "BLIZZARD '1978" ホワイト×レッド ¥6,510
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtyoEQBk5N7wlL1QcjD_O-q-fqfXtDxjSPC_x_PK1HqFSCwMvcgxfiC6-A6Z39OEaCwDw0quGCq7WdzkbYnpQklItAdKWXoGeubOW5NPNHNLxbSAf7FSQ8tqTN2VtYJRVBUcPpEx080ic/s320/130316dl21.jpg)
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時に、アメリカの北東部を襲う"ノーイースター"と呼ばれる嵐がある。
それは冬に強風を伴う大雪をもたらし、数年に1度は大規模なブリザードへと発達する恐れを含む災害である。
1978年"The Blizzard of '1978"と呼ばれるブリザード(暴風雪)が発生した。それは、マサチューセッツ州やメイン州を含む所謂ニューイングランド地方及びニューヨーク州に甚大な被害を及ぼし、都市部では一晩に70cmも一部地域では4.6mもの積雪が記録され、交通が一週間麻痺し、人々の生活を完全に閉鎖状態へと陥れた強力なブリザードだったようだ。
多種文化が開花され、華やかな時代にして偶発的に発生したブリザードは街を一色単に変え街も人も耐え忍ぶ選択を余儀なくした。
そこで得た経験は、便利な生活によって弱体化したかの様にみえた街や人の根底を強いものへ導いたのだ。
・S71D "LAMPERT" ホワイト×ネイビー ¥7,140
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シルクスクリーン印刷や転写などの印刷技術が誕生する以前の1950年代。プリント技術のまだまだ未熟なこの年代に、ハイクオリティーなプリントを売りにしていたLAMPERT LUMBER社。
まずはベーキングマシン(乾燥機)の電源を入れる事から一日が始まる。工場内に熱の広がりを感じる時間にはアイツ等が出勤を終え、水場の流音と染料を混合する静音のこだまが止むや否や、職人達の互いを確認し合う怒号が毎日の日課である。
それぞれが仕事にプライドを持ち、完璧な仕上りを求めるあまり衝突も少なくないが、製品に命を吹き込む仕事に皆やりがいを見出しているようだ。
一見簡単に見えてしまう作業であればあるほど、その実どれを手抜きしても製品にならないほど緻密であり失敗など許されない複雑さを含んでいる様はまるで人生そのものようだ。
「さあ、みんな今日も我が社"LAMPERT LUMBER&CO"は命を吹き込む人生を始めるぞ」